~ どうしてこんな悲しいことに・・ ~
『眼はその人の心の状態を語り 口の中はその人の生活を語る 人は全く見かけによる』この一文をどこで読んだか定かではないが長く記憶の中に留まっている
まさにその通りで 口の中の状況が その方がどれだけ自分の体を大切にしてきたのか あるいは大切にしているのか そしてまたどのような医療を受けてきたのかを如実に語りかけてくれることがある。過去と現在を把握してその延長上に将来をなぞっていけばその方の口腔内(口の中)の何年後かの姿が予測できることがある。すべてではないですがきっと占い師よりも正確である それはそうだ 歯科医学は分類で言うと科学であり根拠に基づいた学問と位置づけられる 歯科医療はその歯科医学を土台にして成り立っているからである
患者さんの口腔の未来予想図をお伝えして理解してもらい 将来起こりうるかもしれない崩壊を未然に防ぐ手立てを講じることはもちろん歯科医院でしかできないし 歯科医療を担う者の義務と考えている
しかし伝えることは難しい メッセージの受け手である患者さんは人格も生活体験も置かれている状況やその立場も千差万別であり 患者さん と ひとくくりにして画一的な対応をしてもメッセージが伝わらないことが多い 置かれている状況が変われば理解の仕方も違ってくる 伝える内容は同じでも伝え方によってまったく違う世界が広がってしまう。たとえプレゼントの中身がすばらしいものであっても、包装の仕方が悪ければ箱を開けてももらえない
なぜこのような事にこだわるかといえば 生涯最後の日までできるだけ歯の健康を保っていただきたいと考えているからである。
生きることは食べること 食べることは歯に負担を掛け続けること 歯はその方の生活を支えている 歯の健康を軽く考えてしまったために生活の多くの楽しみを奪われてしまう方が後を絶たないことは私たちの責任でもあるかもしれない
簡単な例えで言うと 虫歯ができてしまった場合 当然歯科医はそれを除去して 金属や白い材質で修復する これでとりあえず目の前から悪いものはなくなっているが それを「治した」といえるかといえば 虫歯を作ってしまう生活習慣が改善されてなければまた同じ場所に再発してしまう そして再発を繰り返しながら重症化してしまう そして抜けていく さてこれを「治った」といっていいのだろうか 歯周病でも同じことである 歯石を取っただけでは歯周病という病気は治らことがある 何度も歯科医院に通っていながら歯を喪失してしまう人が後を絶たないのはそこに理由があるからである 私たちとしても患者さんの口腔内に作り上げた作品(あえて作品といわせて頂きます)があっけなく崩壊してしまうのを見ていくのは忍びない思いがある 未来予想図は明るいものであってほしい きっと患者さんもそう願っている しかし現実は 多くの方が不便な生活 楽しくない食事を強いられてしまっている
歯の健康は一度喪失すると どんなにお金や時間をかけても元に戻らないことがある 歯科医療は私たちが手を動かすだけでは成立しない
「それでもまだ 歯をなくしますか それとも・・・」
このような働きかけをいきなり始めると多くの患者さんは戸惑ってしまう 患者さんにことの重大性を理解してもらえなければ 当然聞く耳を持っていただくことも無い 「歯は残そうと思い対策を立てないとなくしてしまうことがある」 つまり歯を大切にする生活習慣が定着しなければ 時の経過とともに再発を迎えてしまい 歯の健康状態はいっそう深刻さを増しその寿命も短いものになってしまう 私たちが手を下して治療をしたとしてもそれはただの先送りでしかない 私たちの働きかけにより患者さんの理解と納得が得られなければ悪い生活習慣の改善が見こめない このことを是非理解していただきたいのである 目の前の患者さんに考えを変えてもらうことのほうが手を動かす作業よりもはるかに難しいことがある
「どうせ患者さんに話しても判ってくれるものではないし そもそもそんな時間もないし 保険診療はそんなことまで期待していないし患者さんも保険診療を希望しているし・・・」
私たちは一方的にそんな見切りをして 患者さんが健康になるきっかけをつまんできたことは否定できない 典型的な昔の歯科医療である 「治った 治す」のレベルが低いままである
「治った」のレベルをそこまで高い位置に設定すると 対象は口の中だけではなく その疾患を持った人間に変わり そうなると人格対人格の問題になる こうなると積んできた学問や読み込んできた書物の量だけでなくこちらの人間性まで問われてくるから複雑になってくる その時に仕事を離れて重ねたさまざまな生活体験が私たちを味方してくれる 患者さんと共通の体験をしていることが相手の立場に立って共感できる 近道となる
「相手の立場に立てること」 「患者さんの目線に立てること」 「患者さんが望んでいることを的確に把握する」 「患者さんの健康感を高いレベルに引き上げる」 これらは医療の原則ではあるが一番の難題かもしれない
たとえ 手は動いていても(治療技術は確かでも)私たちが年齢を重ねて人間観察ができないと治らない患者さんは間違いなく存在する。これだけ臨床を重ねてきたつもりでもその奥の深さ間口の広さの前で自分の立ち位置がまだこの程度なのかと がっかりしてしまうことがある そう考えると歳を取ることも悪いことばかりではない
今までの臨床経験のままあと10年若ければなぁ と つい叶わないことをあれこれ考えてしまう。 臨床力とは人間力に他ならないことを痛感する毎日である
そのような私たちでも自分の口腔内の健康を託して下さる患者さんが多くいらっしゃることはありがたいことで感謝申し上げたい 私たちとしても最善の対応とは何かを模索する毎日であります
歯科医療は自分の生涯をかけて取り組むに値する仕事である
診療をしていると不意に患者さんから 先生の文章読んでますよ と言われている事があります 楽しみにしています といわれるとなんだか気恥ずかしくもあります 私と考え方が似てますね とお褒めの言葉をいただいたりすると 遅筆ですが 今後もボソボソと書き溜めていこうと考えています 読んでいただいてありがとうございます。