ご存知でしたか?サザエさんの波平さんが54歳であること。
波平さんには双子の海平さんという兄弟がいて、噂によると京都大学を卒業して身長が178㎝もあるということ。一流商社にお勤めで、高身長・高学歴・高収入を体現していたこと。

私の小学生のころから一番身近なおじいさんは波平さんでした。このおじいちゃん波平さんに私の年齢が近づいてきている。この驚き。
「現在に生きる我々は本当に長生き」実感です。しかしそうはいっても
昨今人生100年時代、女性の5人に一人は95歳まで生きると予想されています。

いきなりですが、「あなたは100歳まで生きることを想定してください」と言われたら、胸中何を思い浮かべますか?
内閣や厚労省は「人生100年時代」に向けてという情報を頻繁に発信しています。厚労省のホームページには2007年に日本で生まれた子供の半数が107歳より長く生きると推測されており・・・と書かれています。
好むと好まざるとにかかわらず・・・である。

要するに国はもうしっかりと伝えてあるから、あとで知らないと言っても、それこそ自己責任で老後破産しても知らないよ、ということでもあるらしい。年金のことだってもうわかっているでしょ、あてにしてはいけないことを。
この国には元々もうお金がない、だから国のたとえば年金をあてになんかしてはいけない。実際に年金支給開始年齢だって70歳に引き上げればどうかという議論も始まっている。自助努力、自己責任を急に求められても75歳現役社会に対応できる人がどれくらいいるのであろうか。本当に平均寿命100歳の時代が来るのかどうかという疑問は置いておいて、国民一人一人が心構えを求められている。

私の仕事である歯科医療は、基本細かい作業の積み重ねで集中力体力ともに高いレベルで必要とされる仕事である。もちろん、20代30代の体力は今の私にはない。つまり日々「働き方改革」を念頭に入れている。次の時代の流れを見据えたうえで自分の診療を作り替えることをし続けないと、75歳現役社会には対応できない。不易流行ということなのだ。変えていけないものと変えなければいけないものの見極め、若い人も受け入れられる考え方やセンスを持ち合わせている高齢者は驚くほど少ない。そんなことを考えるきっかけが増えてきたある日、一つの講演会に参加してきた。

私が一方的にではあるがインプラントの師匠とお呼びしている方が最高顧問を務めている会であり、その方には診療の手技だけでなく、医療人としての心構え、振舞い方など多くを学んできた。
70歳をいくつか超えているのに、意気軒昂、声にも張りがあり、エネルギーも旺盛
講演の内容も、これから5年後10年後の姿を語っているもので
「学びは我々の財産で、勉強することが患者さんを幸せにする夢のある歯科医療を続けていこう」そのような内容でした。
直接握手をしながら先生と会話する機会をいただいた「この10年先生からいただいた言葉を忘れていません。先生の旺盛な姿に明るい展望と勇気をいただけました。」

結局人生100年時代を生きていくのに必要なことはもちろん健康は絶対であるが、「柔軟に学び続ける姿勢」と思える。
いくつになってもだれもが学びなおして自分の考え方に捕らわれず、何かを試してみること、これではないかなあ。「どれくらい備えがあればいいのか?」こんな脅しも必要かもしれないが、それでは長生きが苦痛になってしまう。せっかく与えられた毎日が長く続くのであれば、昨日できなかったことが今日できるようになった、このように暮らしていきたい。

医療者として私の実感から言うと、果たして本当に「人生100年時代」がくるのかはいささか疑問である。
長寿長命がすばらしいことにつながるわけではないことはみな知っている。長寿の残酷な側面も知っている。人生最終版の健康ではない時期が女性で12年、男性で9年もあることもみんなもうすでに 知れ渡っている
好むと好まざるとにかかわらず 自分の予想以上に長生きする時代が到来するということだ

歯科医師でなかったら自分は何をしていただろう と考えることがある そう考えることが好きでいろいろ空想をめぐらし かなわない思いを何度も胸の中で繰り返している

古本屋のオヤジか ロマンスカーの運転台に座っているか 黙々と手を動かす職人か 設計技師デザイナーとなって生活や仕事といった舞台を作り出していたか 設計技師は本当になりたかった職業で工学部建築学科も受験していた 博物館の学芸員も知的興味を十分満たしてくれる 世界の鉄道や駅を旅して旅行記を書いたり写真集を出す なんていうのもわくわくする 将棋三昧の日々を送り勝負の世界にのめり込むさらに将棋教室を開き子供たちを指導する
根拠はないけれど自分には絵心があるはず
これだけ長生きする時代となると かなわないと決めつけていただけで 実は第2の人生がそこにあり 違う舞台が用意されているということもアリか

もちろん歯科医としての第2の人生もアリ 今の日々の営みと違った診療体系を並行して作り出すこともできるかも 自分の中にまだ寝むっている何か 何かあるはず それで誰かを喜ばすことができ お金になるのなら それも社会貢献 
歯科医師以外の肩書をもう一つ作る こんなことが楽しいと思えるようになってきた