「都知事感謝申し上げます」 「おー がんばったな」
普段からその言動にいろいろ物議を起こす石原慎太郎東京都知事(当時)とこのときばかりは硬い握手をして心をひとつにすることができました
2012年2月26日16時8分かねてからの夢でありました東京マラソン完走の瞬間を迎えることが出来ました。
東京マラソン出走が確定したのが12月の初旬 通常フルマラソンの準備期間は最低でも3ヶ月といわれているので本来なら短すぎますが、せっかくのチャンス 万全の体制を敷いてチャレンジすることになりました。
生活は一変 立ち姿 歩行姿勢 走行姿勢すべて見直し 食事も和食中心 糖質の制限を中心としたカロリーOFF そして関連書物を読みあさっての徹底研究。と思いつくことすべて取り掛かりこの短い準備期間のなかで自分至上最強の体を作り上げるためにあらゆることを整えました
42キロ 想像も付かないこの長さ 走りきった後に自分がどのように変化しているのか。
とりあえず まず走ってみよう42キロ ということで今考えると無謀なのかもしれないが、トレーニングとしていわゆるLSD(ロング・スロー・ディスタンス)を自分なりの無理のないゆっくりとしたペースで試してみました。今時のランナーズウォッチはGPS機能が付いたかなりのハイテクで、移動したら即座に移動距離と速度が表示される優れもの ぜひお勧めです 体力がない分だけ装備品と戦略で勝負。このハイテク装備品を使用しながらの42キロのLSDが思いのほか順調にこなせて これならいけるかも と調子に乗ってしまったのが失敗の始まり。「マラソンには30キロの壁がある」どの本にも書いてあるので今度は練習のうちにこの壁を体験しておいて、対処法を探しておこうと考えたのです. 今度はもっと速い速度で30キロに挑戦してみたところ、25キロで本当にブレーキが掛かって足が上がらなくなってしまった.原因は何か 給水か フォームか 途中の栄養補給か 靴か 体温調節か? 自分なりに改善策を立ててその1週間後もう1度30キロの壁に再挑戦。しかしこれもダメ もっと早い20キロでブレーキが掛かってしまい無理やり30キロまで進んだところで力尽きてしまった。これが本番3週間前。今考えるとこのときに自分を追い込みすぎてしまったのでしょう。無理がたたって体力を枯渇させてしまいました。突然の花粉症、風邪などが襲いかかりすっかり最悪の体調で本番を迎えることになってしまった。
後は作戦をどう練り上げるか 制限時間が7時間と聞くと はじめは 時速6キロ×7時間=42キロでOKでは と考えますがこれでは完走はおぼつかない。ランナー3万6千人全員がスタートラインを超えるまで最大で25分かかります。もちろんこれも含めての7時間です 1回トイレに行くとレース序盤だと20分の時間ロスを計算しないといけない 途中5キロごとに制限関門を設けていて、これらすべてをクリアして完走するためには 時速7.5キロ×4.時間30分で勝負どころの35キロ関門を通過しないといけない計算になります。
対策としては 同じペースを守って42キロを移動する トイレに行かない 脱水にならないぎりぎりのところで水分補給を抑える スタート前1時間以上待たされるけれど 体力を消耗しないためできるだけ路上に座る アスファルトに直接座ると寒くて体力を消耗してさらにトイレに行きたくなるから使い捨ての折りたたみクッションを持参する。使い捨てカイロをできるだけ体に貼り付け 低体温を防ぎつつ走りながら1枚づつゴミ箱に捨てる レースはトレースということで 通過時間を事前に設定してそのメモを見ながらその通りに走りきる などなど
こうして向かえた東京マラソンは絶好の天候 晴れていて程々寒くて 睡眠もバッチリ
新宿都庁前は ランナーとボランティアと応援の人たちですごい賑わい 思わず雰囲気に飲まれてしまいそう。「自分の思い描くイメージが結果をコントロールする」とか「子供たちに文武両道の手本を見せてやる」とか考えていたのでしょう きっと硬い表情をしていたのでしょう。東京陸協と書いた服を着ていた人がそんな私を見て 「もっと笑わなければだめだよ そんな肩に力が入っていたら最後までもたないよ」と声をかけていただきました。すぐに深呼吸 口角を上げて ストレッチをすると不思議に軽くなってきました 段取りどおりに対策を実行していくうちにスタートの9時10分が近ついてきた 上空にはヘリが何台も旋回していてすごい音 テレビの取材もいっぱいあってどこかの番組に映っていたかもしれない 今回の東京マラソンは2012年ロンドンオリンピック男子マラソン日本代表選考レースでもあるので 藤原新選手 公務員ランナー川内優輝選手 前世界記録保持者 エチオピアの微笑みの皇帝 ゲブレシラシエ選手も出場している 彼らと同じ日に同じコースを走れる幸運をかみしめる 「日本人1位になるとロンドン行きですね」 周囲の人に話しかけながら緊張をほぐす 前のほうからウエーブが起こってきて自分も参加してみた 9時10分になった 遠くのほうから号砲は聞こえてきた そのうち前の方から少しずつ動き出してきて まるで 元旦初詣の明治神宮のそぞろ歩きみたい 約15分遅れでようやくスタートラインを超えた ボランティアの人たちの声援がすごい 合唱隊が何かを歌っているみたいだが聞き取れない。都知事が手を振ってくれている みんなそれに応えて手を振る 足元には舞い散った紙ふぶきの残がいが重なり滑りやすい それよりもみんなすごいスピードで走り出した。これでは途中でつぶれてしまう あわてて自重 自重。それにしても新宿はすごい人の数 沿道に何重にも重なって応援してくれるとペースがガンガン速くなってしまう 危ない 自重 自重
市ヶ谷を過ぎた 事前に打ち合わせた場所で家族の顔が見えた 『とーちゃんがんばれー』『ファイトー』お手製の応援旗を振っているから遠くからでもすぐ分かった 立ち止まってハイタッチと握手と写真を一枚 カシャ 勇気100倍 力がわいてきた 子供たちのヒーローになれたかも「絶対完走してくる」と約束して再出発。
飯田橋 大手町 皇居 日比谷 東京タワー 品川 また日比谷に戻ってきた ようやく中間点だ まだ疲れていない 自分に言い聞かせる 銀座三越前の交差点 日本で一番煌びやか場所 応援の人が重なり石垣のようだ ふっと 立ち止まってみる 両手を挙げてグルリと回る こんな気分の高揚 快感 大げさで無く自分の人生にこんな瞬間が用意されているとは思ってもみなかった.惚けたように次々流れてゆくランナーを見送る とりつかれた様にまた走り出す.銀座 日本橋を越えて浅草に向かう途中 急に足が上がらなくなった やはり25キロ地点だ まだ17キロもあるのに ここからが練習の成果を発揮する 痛いのは我慢する つらいのはこらえる 自分を機械だと思ってつらさから気持ちだけでも抜け出そうとする 歌を唄う 東京マラソンにはとっておきの曲を準備して覚えておいた TOKIOの宙船(そらふね)がピッタリはまる
‘その船はぁ~ 今どこでぇ~ ボロボロでぇ~ 進んでいるのか’古い世代にはこの曲もぴったり 沢田研二のTOKIOだ ‘そ~らがとぶ ま~ちがとぶ くも~を突き抜け星になる TOKIOが空を飛ぶ~‘ 浅草が近づいてきた スカイツリーが見えてきた まだ写真を撮る余裕もある 気が付くと 後ろから 「収容」と書いてある大きなバスが近づいてきている 各制限関門を突破できなかったランナーたちを収容するためのバスだ.もうすでに中に乗っている人たちが手招きをしているように見える 乗ってたまるか! 日本橋に戻ってきた 左のふくらはぎがもう限界に近い 全身を手でパシッ パシッとたたいて気合を入れなおす 高見盛が手本だ
銀座三越の交差点を曲がると 勝負どころと定めていた35キロの関門だ もう時間が無い
スピードを上げ始めると全身がつりそうだ ランナーズウオッチが活躍をする 計算では2分を残して突破しそうだ ペースを調整する 関門が見えてきた 沿道の人たちが「急げぇー 間に合わないぞー」と手を回してせかしている 何とか身体を投げ出すようにして突破できた 計算どおり残り3分をきっていた 両足が同時発火の様相だ 足が棒とはこのことだ 妙に納得 本当に痛くて曲げられなくなっている 膝のクッションが効かないので走る衝撃はまともに腰や股関節に響いて下半身全体が痛い たぶん足裏のマメも破れているだろう ふくらはぎは痙攣一歩手前 足首も限界を超えている 手を大きく振ってその反動で身体を前に進める 周りを見渡すと 同じ様な走り方をしている人がいっぱいいる.
まてよ これ どこかで見たことがある光景だ 何だろう そうだ 何かの映画だ わかった 思い出した 「ゾンビだ!」 元気な両手だけを前に突き出し 何かをうわごとのようにつぶやきながら ぎこちなく同じ方向に走り続ける まさにゾンビの集団だ. するって~と 私もゾンビの一味か そう想像すると少し笑えてきた
それにしても沿道の声援は途切れることが無い コーラス ブラスバンド ヒップホップ
阿波踊り かっぽれかっぽれ フラダンス チアリーダー トランペット ゴスペル 太鼓にお御輿 と応援する人たちも楽しそう 演奏からもエネルギーをもらう ロッキーのテーマ 西条秀樹のヤングマン 太陽にほえろのテーマ曲 アリスのチャンピオン アントニオ猪木のテーマ 宇宙戦艦ヤマト 懐かしいぞ AKBのよくわからない曲も聞こえた 沿道の皆様からの差し入れもありがたい チョコレート アンパン バナナはちゃんと食べやすいように切ってある 蜂蜜につけたグレープフルーツ レモン 味噌汁 イチゴ(へたも取ってくれている) 温かいスープ ホットティー 手作りのクッキーもいただいた 冷却用エアースプレーを何本も携えた人が「使ってください」と声をかけてくれる 絆創膏ありますよ などなど どれだけの人が声をからして応援をしてくれただろう 無数の人に肩を叩かれ がんばれーの声をいただいた ハイタッチをした人は数え切れない ゼッケンをつけて走っているだけでまるでセレブのような扱いだ 42キロ続くレッドカーペットを走り続けるこの感激 感謝 これだけの好意を受けるとジンワリと涙が出てきそう 走りながら心が洗われて行くようだ まるで四国八十八ヶ所のお遍路さんみたいだ
残り2キロの表示が見えた あの角を曲がるとゴールだ あれだけつらく痛かったけれど 不思議なことに終わってしまうのが 悲しい しかし感傷に浸っている時間が無い 残り5分きっている 左のふくらはぎがけいれんしてきた 何でここまで来て 間に合わないかも 遠くにフィニッシュアーチが見えてきた その向こうに都知事が立っているのがわかった あと少し もう痛みもつらさも感じない 何度も練習してきた渾身のガッツポーズでゴールラインを突き破る 「終わった ついにやり遂げた まだオレはできる」周囲の人たちと誰彼かまわず握手する 「おめでとう 疲れましたね」 記録は 6時間58分7秒 あと一回おしっこ行っていたら 駄目だったかもしれない 後ろから23番目の完走だけど 誰よりも東京マラソンを一番長く楽しめたぞ 自分では作戦通り すべての歯車がかみ合った会心の勝利と自画自賛 ボランティアの方に完走メダルをかけてもらう
重い 思っていたよりかなり立派だ 頬ずりしたりオリンピックのメダリストみたいにかじってみたり これをやってみたかったんだ 子供たちの首にもかけてやりたい 父親として胸を張って家に帰れそうだ
フルマラソンを経験した人は2つのパターンがあると本には書いてありました もうこりごりと言う人と マラソンの魅力に取り付かれてしまう人 わたしといえば「もうほんとうにこんなにきつい思い ・・・またしたくなってしまいました」 これからも走りながら生きていこう ランナー3万6千人 ボランティアの方1万人 そして100万人とも言われている沿道の応援の方々すべてに感謝の思いを伝えたい気持ちでいっぱいです マラソンをしてみると思いがけないプレゼントがいっぱい貰えます 子供たちの父親への評価が急上昇 さらに私の場合なんといっても ず~~っと悩んでいたウエストが5センチも縮んだことです ここまでやせると昔のズボンは全部着られません このとき選択肢は2つあります お金をかけてズボンを新調するか リバウンドしてもとの体型に戻るか 皆さんならどちらを選びますか?
To be continued「東京マラソン感走記2013」に続く