それは一本の電話から始まった話でした。
「脇田さんですか。本当に突然ですが来年度の小学校のPTA会長を引き受けて頂けませんか?」
「は?」
もちろんその存在は知っているものの全く接点も関心もない組織のトップになるということは責務を果たせないと瞬間で考えたので、
「どなたかが推薦してくださったのでしょうけれど私は不適任です。全くその内容を理解していませんので、他の適任者をあたってみてはいかがですか?」
「いや、他の方は全く考えていません。脇田さんが会長になって頂けなければPTAという組織がこれから動かなくなります」
「・・・。」
ボランティアの必要性は承知していたけれど。それはリタイヤしてから自分のペースでのんびりやろうと考えていた。が、「現職で仕事をしているお父さんの力を貸してくれないか」ということらしいけれど、再度断るのは一瞬 だけれども熱心な言葉の数々と、私が断ったらこの人大変だろうなという事情をあれこれ忖度してしまい、つい「一週間考えさせてください」と答えてしまった。

妻に相談してみると「そんなタイプではないよねえ。でもうちの家族いままでいい方向いい方向に動いてきたからこれも良い様になるかもね。1回会長引き受けるとポイント充分だから、もうPTAの委員会やらなくて済むし 私は助かる」

来年度6年生になる子供に「父ちゃんがこの話を引き受けたら1年間しょっちゅう小学校に顔出すけれどやりづらくないか?」「いいんじゃない」「卒業式に会長としてスピーチするけれど卒業生としてそのスピーチ聞くのは?」「んー いいんじゃない」

医院のスタッフにも聞いてみた。「おもしろそう。子供の卒業式に父が祝辞を言うところぜひ聞いてみたい。涙ものよね」意外なことに みんなOKだ。

結局 気が小さくて断り切れなかった と言うところか。
自分が行くことによってその場のみんなが喜んでくれるなら という想い
「ボランティア」って何だろう。保護者代表としての顔 数々のスピーチは気が重い イザという時あがり症 この年になっても役立たず 副会長以下本部役員の皆様方に恵まれ、軽くかつがれたような会長ではあるけれど。

教育とは何か、地域のつながりとは。多くの子供たちとどのように接するか。決してPTAの活動に好意的な人ばかりではない中で どのように皆さんが持ち寄って下さった時間や労力を結実させるか。仕事とは違う頭の使い方だ。
歯科医師以外の顔を持つのも久しぶりで新鮮 「会長」と呼ばれるのも慣れてきた
お父さん代表として かっこよくありたい という自負心もある
仕事が遅れる。医院の経営は?プライベートがなくなる などのネガティブはこの一年間飲み込むことにした。どうせやるなら楽しく(楽しそうに)やる。
「自分の損得勘定を超えたところで行動することで自分自身ひとまわり成長するのでは」
この思いが原点でした。PTAって何?会員の方々に気持ちよく動いてもらうためには?
それにしても先生方の教育に対するエネルギーと熱意には頭が下がる思いです。
自分たちの活動で一人でも多くの子供が 学校大好き 明日学校行くのが楽しみ!と思ってもらいたい 親としては自分の子供が学校で起こったことを楽しそうに家庭で話してくれる こんな幸福なことはない 公私を超えて行動する父親のうしろ姿を子供がいつまでも覚えていてくれるとうれしい
子供たちの目には光があり学校はパワースポットのように前向きになれるエネルギーを与えてくれた。

入学式 登下校の見守り 多くの子供たちとの挨拶 先生方との会話 会員の皆さんとの様々の会合 ピアニカの音 給食のおいしそうなにおい 給食試食会 休み時間の子供たちの歓声 修学旅行 運動会 バザー 6年生を送る会 そして体育館での卒業式
妻と卒業する上の子だけでなく、4月からこの小学校に入学する子も含めた家族4人が共有するこの空間の中、無事に祝辞も終了。
「~いよいよ卒業ですね。少し寂しい気持ちもするけれど・・・。これからの君たちの活躍と成長が楽しみです 力強く中学校へ旅立ってください」
この光景を家族4人で共有できた事 これは1年頑張ってきたことで得られた思いがけない宝物になった
子供たちは間違いなく未来への宝である。
何より子供たちが楽しく安全に学校に通ってくれることはすべての保護者の喜びでもある。
そのことに少しでも貢献できたならばそれで充分で、それ以上のことはありません。一年間色々なことがあったけれど、終わってみれば多くの楽しいことだけが記憶に残っています。