とある方の計らいをいただいて、総理官邸と国会議事堂内の見学をすることができた。
行政の長である内閣総理大臣の官邸と国権の最高機関であり国の唯一の立法機関である国会の両方を同時に見学できるまたとない機会であった。
私にとってレンガ建ての旧官邸(現在の総理公邸)の方がなじみがあるが、その旧官邸を移設して迎賓機能を兼ねた新しい官邸に足を踏み入れることができた。
よく目にする記者会見室や組閣後の写真撮影をする階段といった場所だけでなく撮影禁止の場所も見られ特別な体験となった。
権力の中枢 総理大臣になれるのはもちろんその時代で一人。
国を動かす絶大な権限を持ったこの官邸の主なるために何が兼ね備わっているのか。
その判断一つが一億二千万の日本国民の生活生命を左右する。
そんな決断を戦前戦中戦後と絶え間なく繰り返してきた、とてつもないパワースポットである。
人望 人脈 人徳 上昇志向 権力欲 国家観 屈強なメンタル頑丈な肉体。
国会議員は高齢でもタフな人が多い。
能力だけでない 時流に乗ること 運に恵まれること 妬みや嫉妬といった人間臭い感情もついて回るのだろう。
そんなものがないまぜになってぶつかり合い正義・主義・主張を戦わせていきつく先が、総理総裁の椅子なのかもしれない。
隣接する総理公邸も併せて日本の戦前から今に行きつく歴史を作り上げてきた そのような空気感が凛としたたたずまいの中に織り込まれている気がする。
その後の国会議事堂の見学も含めて思いつくままを書き留めてみる。
私はもちろん政治家でもないし、政治家になる力もその気もないけれど、国全体をもう少し考えることもあってもいいのではないか。
それは私だけではないのかもしれないけれど、自分個人、家族近親者、近隣社会、日本という国あるいは自分の歯科医院、スタッフ、患者さん、歯科医療で働く人々、
務めて視野を広げることをしないといけない年齢でもある。
器が大きい人を目の当たりにすると、自分が小さく見えることがある。
私たちが心惹かれる歴史上の偉人たち特に幕末の偉人たちは私利私欲に引かれることがなく、
天下国家を論じ、国の行く末を第一に考えあるものは明治維新を見届けて、
あるものは明治維新を見届けることなく暗殺されたり、自害したり、処刑されている。
坂本龍馬や西郷隆盛など歴史上の人物には多くのファンがいますが、
彼らに少しでも近づくためには、社会をよくしていこうという志もモチベーションの中に組みこんでいくことも必要ではないかと感じた。
中国唐代に「少医は病を治し 中医は人を治し 大医は国を治す」ということわざがあると聞いていた。
まずは適切な診査診断をして、正確な医療をして患者さんに喜んでもらわないといけないが、
それができるようになれば次には、人を診よ。そうでなければ再発するし治らない。
人だけでなく社会背景がわからなければ病気になってしまう人が増える。世の中をいい方向に変えられれば個人が病気になることも少なくなるだろう。
そんなようにこのことわざを解釈している。
もちろんきれい事ばかりではいけないけれど、少しは理想的なことも言えなければ患者さんが不安になることもあるし、人として恥ずかしいです。
患者さんも我々にそれを望んでいる事でもありますし、たかが歯科医師といえども歯科医療に何ができるのか。
歯科医療を通して少しでも世の中をいい方向に変えていけること、それができるはず。
実は歯科医師は私に限らず自己評価が低いのではないかと常々考えていた。
何が一番足りないのか内をさらに求められているのか考えて得られた結論は情報提供である。
正しいことを知らされてこなかったばかりに口腔の健康を損ねて辛い思いをされている方があまりに多い。
自分の考えていることが100%正しいとは限らないし自分だけが正しいことを言っているわけではもちろんないけれど、
このようなホームページに情報を発信することでお役に立てることができればうれしい限りです。
なにか情報を求めて検索されている方に、たとえこの医院に来院されていなくても、
有益な情報が届くことによってその方の生活が明るくなるようにそれが今の私にできる一つの社会貢献である。
そのようなこと考えました。