お別れは突然やってくる 普段から気軽に立ち寄っていた本屋が突然の閉店とあいなりました 
秦野駅の徒歩圏内には以前は3件も本屋が存在してまさか全滅するとは思いもしませんでした 2件潰れたあたりから この日を何となく予測していて 自分なりに一万円を超えるような高価な医学書をこの書店で購入したりして買い支えていた気分で応援していたけれど あっという間に秦野駅周辺は本屋空白地帯になりました

無くなってみると本当に困る!

趣味と聞かれたら即座に「本屋の徘徊」と答えていた私の趣味が取り上げられてしまった
今 この時に世の中がどのように動いているのか様々な分野において何が注目されているのかをごく短時間で把握できるのにとっても便利 本屋の中をぐるっと一周すればいい

知的なワンダーランドで身近なパワースポットである

本との出会いが人生変えることなんてまったくもって珍しくない 運命の本との出会いは感覚的なもので本がぎっしり並んだあのたまらなく心地よい空間のなかでなぜかのその本だけ目と意識が吸い寄せられる そして手に取ってみる これはリアルな書店だからこそできること

閉店があまりに残念なので 顔なじみだったレジを担当していた店員さんに早速聞いてみた
「こんなことになって残念」
「いつもご利用してくださいまして本当にありがとうございました。こんな時代なので持ちこたえられなくて私たちも残念」
日本中の本屋が姿を消している理由には出版不況 活字離れ 取次の問題 など その業界の構造的な問題も重くのしかかっているみたい

本屋は何かアイデアが欲しいときや気分を変えたいとき あるいはただの暇つぶしや待ち合わせ場所として利用したり 本当に重宝していた これは私の考えだけど本屋は映画館と並んで町の文化の発信基地と言ってもいいかもしれない 新聞やテレビには無くなりつつある言論の自由もまだまだ 出版の自由という形で残っているしね インフラの一部が無くなってしまった この動きは秦野だけでなく全国いたるところで起こっている事らしい

よくよくここ20数年のことを考えてみると秦野の街角から消えてしまったのは書店だけでない 映画館 DVDレンタルのお店 CDショップ ボーリング場 気軽に寄れるドーナッツ屋 美味しいパスタのお店 ちょっとしたレストラン数件 行きつけていた寿司屋 和食のお店 趣味でよくのぞいていた鉄道模型のお店 おもちゃ屋 そういえば 三越のサテライトショップもあって ちょっとした贈答品はここから三越の包み紙で贈れて喜ばれていた 全部なくなってしまった

代わりに目につくのは 全国展開の居酒屋 ドラッグストア 塾 それに美容室 あっ歯科医院もそうか 地域の商店がなくなる傾向もどうやら秦野だけでなく全国でも見られるらしい

どこの地方都市の話なのか忘れてしまったけれど 大手スーパーが進出してきたら古くからの地元の商店を根こそぎ閉店に追い込んでしまったという記事がありました まぁそうだよね 品ぞろえは豊富だし 価格も安いし 車で乗り付けられるし とのことで古い商店は勝ち目がないですよね でもその話には続きがあって 何かの理由でその大手スーパーが撤退すると地域住民はあっという間に買い物難民化してしまったそうだ 

本屋の話に戻るけれど もちろん大手通販サイトの台頭が直撃していることは間違いない
かく言う私もよく使います 探し物は秒で見つけてくれるし 本屋で注文して 絶版ですと言われた本も見つかる 物によっては注文翌日手元に届くこともある あなたにおすすめと言って他の書籍を紹介してくれるけれど これが的を得ていて思わず購入してしまう

断るのも返品するのもあまり気を使わなくて済む
本だけでなく 小物も生活必需品も通販サイトがないと生きていけない
 服だって 試着したら購入しないといけないという先入観が強くてリアルな店では服を買うのがとっても苦手な私は サイズ感がつかめてと縫い方の質が悪くなければ ネットの方が服を購入しやすい

これ以上の便利さはもう望めないかも 便利って麻薬のようで一度便利の魔力になれるとその不便では満足できない 便利は我

慢の敵 不便さを我慢することができなくなっていく さすがに生鮮食料品は通販サイトに頼ることはできないけれど 通販しか頼らなくなって他の流通経路が無くなった時に価格設定やら品ぞろえやらすべて通販サイトに握られてしまうと その便利があだになって選択肢が無くなり逆に不便にはならないかと心配してしまう 通販サイトに生産する側消費する側両方に優越的な特権を行使されると私たちはいいなりにしかなれなくなるかも

商店街もアーケードもシャッター通りと化していれば散歩していても楽しくない
手に取って確かめて買う 店員さんと言葉のやり取りをして 自分が買うことによって誰かが喜んでくれることを実感できる 街に活気がある このような流通の仕方を何とか残せないかといつも思ってしまいます

同じ時間に、同じ場所で、同じ感覚や気持ちを共有する事がないとどんなにお金があっても幸せになれないかもしれません
自分が超高齢社会の中に突っ込んでいったとき 免許返上して車がつかえなくなっても
不自由しない町づくりでないと安心して年寄りになれない

本屋の話に戻るけれど実は小学生の時の将来の夢は本屋さんになることだった
カッパ書店という小さな本屋によくかよっていた おじさんとも顔なじみで良くしてくれたことを覚えている お顔もまだ覚えている 多分もうご存命ではないだろう

道を歩いていても本を配達途中のおじさんのバイクとよくすれ違った記憶がある
あの本屋の雰囲気 居心地が良くて 小遣い握りしめながらどんな本を買おうとワクワクした 特別な空間 いつまでも居たくなる場所でしたね

そんなことをつらつら思い返してみると もしかしたら この夢 今からでもなんとかなるのではないか そんな気がしてきた もちろん本業は今まで通りに為すべきことは為していくけれど ささやかな副業として 自分の好きな本 壮丁の綺麗な本 手に取った人が喜んでくれそうな本 購入してくれた人の気持ちが明るくなるような 手に取った人の心に残るような本を少しづつ集めて本棚をしつらえてみると ちょっとした本屋ができるのではないか そんな気がしてきた

居心地のいいこだわりぬいた品ぞろえの 日本でもオンリーワンの本屋ができるような気がした でも 採算とれるか? 医院のスタッフの仕事増やすだけでないか? その業界のルールも熟知しないとなどなど ハードルはありそうだけど できそうな気がする

現在の待合室にも そのテーブルの上には 10冊以上の本が置かれていて 患者さんが自由に手に取って読んでもらえるようになっている 「この本借りていっていい?」「この本ここで購入できるの?」とか 「じつはここに置いてあった本 本屋で買って読んでみたけれどあの内容どういう意味?」と聞かれたりすることはよくあって なかなか反応はいいようで 患者さんの健康観を変えてくれるのにかなり手ごたえを感じている

さて 待合室に本を並べる構想のその後の流れがあるようでしたら ご報告します