昔からのファンの皆様本当に申し訳ありません

クイーン中毒歴数十年の方々見れば 「何にもわかっていない」と言われることを承知でクイーンを語らせてください「ようやく少しはお前もわかったのか」「おそかったね」と寛大な心でクイーンを語ることを許してください
ボヘミアンラプソディー見たさに映画館にも3回足を運びました DVDも繰り返し見ました もちろんサントラ盤も聞いています
これでクイーンを語ることを許してください ということでお許しを得たところで語らせてください

もちろんクイーンの存在は知っていました フレディマーキュリーの最期や 楽曲のいくつかは知っていました でもね これほどまでにはまってしまうとは思いませんでした

それまでボヘミアンと言えば 葛城ユキの‘‘ボヘミア―ン‘‘だったのよ 正直 知ってるますでしょ?
自分なりになぜはまったか解説させてください
もちろん楽曲のすばらしさは圧倒的でどれが一番か順位を付けようないのですが
他を大きく引き離して繰り返し聞いているのは レデォガガです
自分の気が落ちてきて へたってきたと自分が気づいたときにこの曲を聞くとあるいはユーチューブで見ると 活力が上がってくるようでよく朝仕事の始まりに聞いています

意訳ですが「何も知らなくて気づいていない子供たちは 君が無くなって初めて不満を言うのだ」「誰かがまだ君を愛している」「君の時代があった君にはパワーがあった でも君はまだまだこれからだ ラジオよ 次の話題は何だい?」この歌詞を自分に当てはめてグッときます
良く聴く 良く効く 精力剤みたいな曲です

更にこの映画の魅力はいくつもの心に突き刺さるようなセリフかな
「なりたいと思っていた自分になれた」
「自分が何者かは自分で決める」
「これをやらなかったら死ぬまで後悔する」
「もっとロックしろ」
「良き行い良き言葉良き想い」

全編を通して歯の話題がちらりほらりと出てくるのも親近感増してます
ドラムのロジャー・ティラーが歯科医師を目指していたエピソードも織り込まれていたし
「その歯でボーカルかい?」とブライアンがフレディに話かけていたようにフレディの歯並びも何度か触れられていたし記者会見で「なぜその歯を治さない?」と辛らつな質問をされていた 答えは「俺はイギリス人だ」 どうやら当時のイギリス人は歯列矯正は一般的でなくイギリス人は歯並びが悪いということが常識であったらしい

それにしても主役のラミ・マレックの歯並びがフレディにそっくりなのは驚いた 前歯がアップになっても本当にそっくり どうやってこの歯並びを再現したのか?
日本の時代劇でも かつらもメークも大道具小道具時代考証すべてリアルにそろえても 俳優の歯だけでは みんな真っ白できれいな歯並びで全くそこだけ時代にそぐわない 絶対に歯がない人もいっぱいいたはずなのに かねてから気になっていたけれどこの歯並びのリアルさは歯のプロが見ても文句のつけようがない
ラミ・マレックもそこまで似ているかと言われれば ??なんだけどむしろ他のメンバーのそっくり加減が驚き フレディの両親 やパートナーのそっくり具合まで芸が細かい

何度も繰り返し全編通して見ていくうちに心に残るキーワードは「つながりと孤独」「豊かさと幸せとは違う」「自分らしさ」かな

つながりを断ち切ったり断ち切られたりしながら自分と向かい合い孤独を深めながら自分が何物か 何をするべきか鮮明になっていく様子が描かれている
孤独 人と違うことからくる苦しみ それを乗り越える辛さ

人と同じだと誰も自分を評価してくれない 独自性オリジナリティがくっきりっとして自分にしか表現できなく偏っているからこそ評価されるのだけれど それにしてもその偏っている自分とどのように折り合いをつけるのか 難しいところかもしれない その偏りが出自や性的志向であればなおさら重い
人と違う苦しみを抱き続けて生きていくのか 平凡の中に安らぎを求めていくのか その両極のどちらに触れるのか

そこに共感を覚える人もいたのでは 私はこの映画の通底するテーマが孤独と繋がりかと思っている クイーンというバンドははぐれ者の味方なのだ
才能が花開き多くの人の称賛を得て豊かになって光を浴びれば浴びるほど 影がますます濃くなっていく

ぜいたくの限りを尽くした派手なパーティーの後のセリフ
「あいつらは友達ではない」 
「何かをしていないと追っ払ったはずの暗い闇がまた襲ってくるのが耐えられない」
成功を重ねるたびに取り巻きは増えるけれど 結局その人たちが集まってくる理由は自分そのものの人望なのか 富や名声に群がっているだけなのか おこぼれに与りたいだけなのか その残酷な事実にも気づかされてこちらも胸が苦しくなる

金や物の豊かさ 名誉 栄光はある程度揃うともうこれ以上あってもしょうがないと思う限界があるのかもしれない その限界を超えるとむしろ邪魔になるのか そんな豊かさは経験したことがないけれど そこを限りなく追及することに意味があるのか その限界点は人それぞれで たとえ満たされなくてもそれを不幸と思わないで今手元にあるもので幸福を見つけ出すことも大切 自分を守るために

物質的な豊かさや表面上の幸せ加減で人と比較することには疲れてしまうだけだ
何処まで行っても上には上があるからね 私もそうだけど人は結局幸せそうな面しか人に見せていないかも
それよりもむしろ自分の周囲の人が幸せそうに笑っている姿はどんなにたくさんあっても邪魔にならない 自分にしかできないことで周りを喜ばせられたら 人と比較するのもばからしくなる やりたいこと自分にしかできなことがいっぱいあったら人の評価など気にしていられない 自分しか幸せにできない人の存在を見ていなかったり そのような人たちの数を増やそうともしないで 人と比較しても時間の無駄 まずは「為すべきことを為す」
「俺が生まれた理由 それはパフォーマーだ 皆に望むものを与えるために生まれた」
こんなセリフを口にして エイズに罹患して死ぬ覚悟の元 クライマックスのライブエイドコンサートに突入する そしてあのエンドロールだ これでもか まだ泣かないかと畳みかける 史実とはちょっと違うらしいけれど なんてよくできている映画だ

この文章を書きながらまた 最初からまた見たくなってしまった

自分の人生の中であと何回繰り返し見ることになるのか 自分なりに人生を重ねるとまた違った 見方ができるのかも

それにしてもリアルにその時代 フレディ・マーキュリーが生きていた時代でクイーンにはまってみたかった