海外旅行もいいが日本国内にも素晴らしいスポットがたくさんある一生かけても回り切れない
歴史や地理文化の素養があればもっと楽しみを膨らませてくれる そう思いながら仕事の傍ら 旅行の計画を立てることが楽しみでならない
今回は安土城だ 小谷城 佐和山城 長浜城 姉ヶ崎・賤ヶ岳の古戦場 彦根城と琵琶湖の東岸を家族とともにあわただしく駆け巡る
安土城は正確には安土城跡で 天守閣は跡形もない

その完成後3年も経たずに本能寺の変の直後に消失してしまった 本能寺の変は今をさかのぼること約430年 年号でいうと1582(イチゴパンツ これで一発で覚えます)いまはその石垣と本丸跡のみが当時をしのぶ貴重な資料となっている
城下の街並みも当時は相当な賑わいであったそうだが今は何の変哲もない田畑が広がるだけである どれが安土山なのかも看板がなければわからない
私もそうだが歴史好きがその場所を訪れるのは歴史上の人物が感じた五感を共有したいからだ 偉人になり切ってみたい そんな思いだろう

地方の一武将に過ぎなかった織田信長が天下布武のもと 天下統一の直前まで昇りつめそれ以降の拠点として心血を注いで作り上げた天守がここにあった

私たちはそこからの眺めを体感したくて 小高い山を かなりの急斜面だが 一気に駆け上がった なぜこんな山の上に信長は こんな高層建築を作ったのか その答えは 山の頂 天守閣跡にあった
そこは本当に何もない空間だが 何もないがゆえに自由に発想をその限りを尽くして思いをはせる 上へ上へさらにその上にという信長の上昇志向を感じる
息せき切ってやっとたどり着く
呼吸が整うと色々感じられる 

陽の光り 風の音 木々のこすれあう音 鳥のさえずり 草を踏みしめる音 眼下に広がる光景 ほんのわずかだが信長になり切ってみる 左手の方角が信長の出身の岐阜 さらに右手の方向に目指す京都 琵琶湖の水運を上手に使うためのここ安土城 信長の戦略を体感する むしろ建築物が何もないことが自由な想像を引き寄せる

ここに5層7重建て 我が国におけるのちの大阪城 名古屋城 城江戸城につながる近代城郭の基本であり 世界で初めての木造高層建築 黄金をふんだんに使った それはそれは美しい ヨーロッパにもあるとは思えないような豪華絢爛な天守があったとのこと
織田信長 豊臣秀吉 徳川家康 そして謀反を起こす明智光秀 日本の歴史を大きく動かすこの4人が同じ空間に同じ空気を吸っていたその瞬間がここに必ずあったはず 4者4様それぞれの腹の内には様々な感情がしまわれていたに違いない 野望 同盟 使命感 自尊心 尊敬 忠誠 友情 信頼 誤解 恐怖 そして反逆  英傑と呼ばれる人物たちも人間臭い感情に支配される一人の人間なのだろう ただしその心の振幅が私のような凡人に比べてはるかに大きい そうでなければ生き方がドラマのようにはならない そうか自分の人生が平坦なのは 感情をコントロールしすぎているからなのか と自問する

死生観は人それぞれですが 死後の世界があるとしたら 信長の魂が一番好んで訪れる場所はここを除いてないだろう 「どうだ どんなもんじゃい!」 天下統一の途上 権威 栄華 武力 権力を見せつけ 周囲を驚かせた絢爛豪華なこの建物がたいそう気に入っていたそうだから 一番居心地がよかったに違いない
そう考えてふっと 頭上を見上げてみる どこかに信長の魂が浮遊しているかも こちらを見ているかも 対話してみたいですね

人は必ず100%死ぬ それは避けて通れない もし死後の世界があるならば 魂は時空を超えて存在するならば あってみたい人はたくさんいる 立ち合いたいその瞬間も数限りない

もし死後の世界がなければ それは永眠というように永遠に眠り続けるのであろう 私は眠るのが大好き うたたねのような昼寝のようなまどろむ心地よさが永遠に続くのであれば 死の恐怖も少しは軽減できるのか なんにしろ苦しむのは勘弁だ そして周囲が嘆き悲しむのも ただただ立ちすくんでしまうのも嫌だ 「なんだあの爺さんまだ生きてたの?本当に老害だよね 早く後進に道譲ったら」 と陰口叩かれながらもしぶとく生き残っている方がまだましか そんな薄い死生観を取りとめもなく 考えても見たりして 何もなく 獏とした空間は 空想し放題である

今の自分は信長が無念の死を遂げた年齢を超えている 信長がさらにどうしても行きたかったであろうその残りの日々を送っている
人の命が平等というのはきれいごとでしかない

かつては死を考えることは「縁起でもない」と忌み嫌っていたが、いまは生きる意味を深く考えるいいきっかけと考えを改めるようになった。
死を考えることは死を引き寄せることではなく生を輝かせるもの そう考えるきっかけが増えてきた 人生は死ぬまでの暇つぶしなのか
「是非に及ばず」そう言い放ち火の中に消えていった信長の心境は如何ばかりなのか
「人生五十年 下天のうちにくらぶれば 夢幻の如くなりけり」信長が好んで舞ったといわれる 一節を口に出してみる 
自分の死生観が深まったときにまた訪れたくなる城郭跡だった